公開講演会

タルムードと日本文化
The Talmud and Japanese Culture

日時: 2015年11月07日(土)13:00-14:30
場所: 同志社大学今出川キャンパスクラーク記念館2階チャペル
講師: 市川 裕(東京大学・大学院人文社会系研究科教授)
要旨:
タルムードと日本文化にどんな関係があるのか、実はこの関係はまだ始まっていない。日本にはキリスト教が伝わり、旧約聖書はすでに日本文化の一部ともいえる。しかし、ユダヤ教ではその読み方は異なる。ユダヤ社会において、タルムードがヘブライ語聖書(旧約聖書)の読み方を確立した。それでは日本文化はタルムードをいかに学びうるか。
日本では旧約聖書を物語として読んでしまいがちだが、ユダヤ教徒はこれを、唯一神が人間にその意志を示した言葉として受け止めてきた。ユダヤ教の功績は聖書を神の言葉として徹底的に学習したことにある。ヘブライ語聖書を読んで、驚くのは、ユダヤ教徒にとって大変都合の悪いことが書いている点にある。例えば、シナイ山で神と契約を結んだ直後に金の子牛の偶像を制作して、罪を犯してしまった。また神に選ばれた民でありながら、国は滅び、捕囚という苦渋を舐め、ついには世界中へ散らされた離散の民となってしまう。自分に都合が悪いからといって、捨て去ることはできない。そしてタルムードのラビたちはこれを真正面から受け止めて、己を顧みるよすがとして、ユダヤの民を鼓舞し、ユダヤ教徒を神にとことん尽くす民に仕上げていった。
タルムードとは「トーラーの学習」を意味する。トーラーとは神の教えであり、ユダヤ教徒は、神の永遠の教えが、預言者モーセに啓示されたと信じる。文字に刻まれて伝えられた「モーセの律法」(モーセ五書)の他に、神がモーセに伝えた教えには、口頭で伝承された教えがあるとされる。その教えは、モーセからヨシュアへ、ヨシュアから長老たちへ、長老たちから、預言者へ、バビロン捕囚後はエルサレムの大集会の人々を経て、ユダヤ賢者、ラビたちに伝承されたと考えられた。そして、その口伝の教えを最終的に編纂したものが、ミシュナと呼ばれる「法規範の集大成」の教えである。西暦200年頃のミシュナ成立以後は、ユダヤ教において神の教えの学習は、文字に書かれたトーラーと口頭で伝わったトーラーのこの両方を学ぶことであった。その学習の成果は、アラム語で「ゲマラ」と表現され、タルムードとゲマラは同義語である。
日本文化との比較を目的に、タルムードに現れるユダヤ的なものの考えを、和というテーマに沿って考えることができる。聖徳太子の17条の憲法に「和をもって尊しとなす」という教えはあるが、和というアイディアは、弱者を強者に従わせるための恰好の口実として利用されていないだろうか。少数派が納得できるような論争の解決法が備わっているだろうか。ミシュナのアヴォート篇に「天のための論争は全て、その結末は成就する」とある。ここでは意見の対立と論争は、それが天のため、すなわち唯一神のためである限りは肯定されるという考えが、語られている。神の言葉なのに、ラビたちの意見が分かれたら、あとの時代の人々はいかに対応すればいいのか。タルムードはその学習の仕方の見本を見せてくれる。ゲマラの議論は、意見の対立の原因、それぞれの主張の根拠を探り、反論と再反論、というようなやり取りの形式で書かれている。互いに相手を説得できない段階で神の意志は人間の多数決で決定されることとなり、少数意見も記録に残される。タルムードは神の意志を探究する人間の側の営みであり、それゆえ、これこそが神の意志である、という絶対的な正解はあり得ない。人間の思考による積み重ねの上に、理性的に納得のいく行為規範が生み出されてきた。これこそがユダヤ精神文化のエッセンスともいえる。約2000年間に及ぶタルムードの学びと実践において、ユダヤ文化が築いてきた自由さと厳しさから日本文化は学ぶことができる。
(CISMOR特別研究員 平岡光太郎)
※入場無料、事前申込不要

【主催】同志社大学 一神教学際研究センター(CISMOR)
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
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