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前3千年紀シュメール、多神教の世界

公開講演会

一神教学際研究センター・日本オリエント学会共催公開講演会

前3千年紀シュメール、多神教の世界

日時: 2008年01月12日(土)午後2時~4時
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: 前田 徹 (早稲田大学文学部教授)

主な著作:『都市国家の誕生』(世界史リブレット)山川出版社1995年、『メソポタミアの王・神・世界観―シュメール人の王権観』山川出版社2003 年、(共著)『歴史学の現在:古代オリエント』山川出版社2000年、(分担執筆)日本オリエント学会編『古代オリエント事典』岩波書店2004年
要旨:
前田氏は、宇宙観、神殿、神像、神統譜などを検討することで、前三千年期シュメール(初期王朝、アッカド朝、ウル第三王朝の時代)の神観について明らかにしていった。
前三千年期のシュメール人は、二項対立的で、体系的な宇宙観を有していた。シュメールの宇宙観における世界は、完全な「天」の世界(神々の世界)と、不完全な「地上」の世界(人間の世界)に大別できる。さらに生者が生きる「地上」に対立するものとして、「地下」の世界があった。また「地下」は、生命の源の世界である「深淵」と、死者の世界である「冥界」に区別されていた。一方「地上」も、「文明」とその外部にある「野蛮」に区別されていた。「文明」は農耕・水のイメージをもつ「深淵」とアナロジカルに捉えられ、「野蛮」は荒地・乾燥のイメージをもつ「冥界」とアナロジカルに捉えられていた。また自然観も、神話的宇宙観を空間的に置き換えたものだった。すなわちシュメールの自然観は、神の恩寵の内にある豊穣な自然と、神の恩寵の外にある不毛な自然に大別できた。
シュメールではいわゆる「神殿」に、「神の住むところ」という言葉をあてていた。つまり神殿は、神の家族が住む「家」と捉えられていた。それは、人間の家と同じく、耕地を有する家産的経営体として捉えられていた。また神像は単なる像ではなく、神そのものとして捉えられた。当時のシュメールでは、神殿・神像の破壊はタブーとされていた。ちなみに、都市(=文明)も、神の恩寵によって成立したとみなされていたため、本来は破壊がタブー視されていた。しかし初期王朝時代末からの領域国家期から、王は秩序維持を神から託されているものとして、都市国家の反逆を鎮圧するようになった。それゆえ、都市の破壊の記録も見られる。
七大神(アン、エンリル、エンキ、ナンナ、ウトゥ、イナンナ、ニンフルサグ)は、独立した一人神であり、それぞれの神の間に関係はなかった。ゆえにシュメールでは、神統譜は基本的に作られなかった。のちに作られた場合でも、その内容はさまざまだった。それぞれの神は、各都市の都市神の性質をもっていた。神々の独立性の高さは、統一王朝成立後も各都市の独立性が高かったことの結果として理解できる。
また定説では、イナンナ(ウルの都市神)ははじめから豊穣の神としての性質を持っていたとされている。前田氏は講演の最後に、この定説に対する問題提起を行った。前田氏の考えでは、もともとのイナンナは、戦闘神としての性質しかもっていなかった。ウル第三王朝が成立したあと、都市を越えた、領域全体を単位とする婚姻儀礼が行われるようになる。前田氏によると、イナンナに豊穣神の性質が付け加わったのはこの時である。

(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 杉田俊介)
 古代メソポタミア文明の基礎を築いたシュメール人は、最高神エンリルなどの七大神や、おのおのの都市における主神など、多くの神々を崇拝していた。多神教の社会において、シュメール人が神をどのように理解していたかを示すために、神に関わる宇宙観、神殿、神像、神統譜などについて述べたい。
当日配布のプログラム
『2007年度 研究成果報告書』p.211-226より抜粋