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古代エジプトと聖書――知恵文学の比較を中心として

公開講演会

古代エジプトと聖書――知恵文学の比較を中心として

日時: 2006年06月10日(土)午後2時~4時
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: 勝村 弘也(神戸松蔭女子学院大学文学部教授)
要旨:
勝村氏は本講演で、古代エジプトと古代イスラエルの文化や旧約聖書(ヘブライ語聖書、以下略)との関係に関する従来の認識を改める時期が来ていることを主張された。近年、エジプトは世界的に注目されているが、それに伴って古代エジプトが人民を抑圧する専制君主的国家であったという理解に再検討が求められつつある。
氏は、このような認識の変化は旧約聖書の研究にも波及し、例えば従来、古代エジプトの根本にはその社会システムを支える永遠不変の宇宙的秩序観があり、それは歴史や倫理性を重んじる旧約の世界とは対照をなすものだと認識されてきたが、近年、Jan Assmannというエジプト学者が、古代エジプト社会においても倫理は重要な要素であったと主張していることを紹介された。
聖書には反エジプト的な思想が随所に認められるが、全体が反エジプト的であるとは言えず、むしろエジプトからの強い影響が存在したからこそ、反エジプト的な言動が記されたのであろう、聖書にはエジプトの文化を参照することによって初めて理解が可能になると考えられる個所が散見される、と述べられた。
また、ヤハウェ宗教に典型的とされる神観念も古代エジプトのテキストに見出される、エジプトの新王国の知恵文学の中には「神の計画・命の主」を意味する「ネチェル」という表現が現われるが、そこに含意される神観念は一種の超越神であり、このことからAssmannがエジプトに唯一神教が存在したと主張している、と述べられた。以下は氏によるAssmannの主張の紹介である。
Assmannは、古代エジプト人の倫理感覚が過去の出来事の記憶との連続性にその基礎を持つこと、その記憶が個人的なものではなく社会的なものであったことを主張する。社会的連帯について現代人が平等的、水平的な人間関係から考えるのに対して、古代エジプトでは、上下関係、垂直関係が社会秩序において重要であったことを主張する。
従来、エジプトの女神マアトは、古代エジプトの宇宙的秩序観に関わるものと理解されてきたが、Assmannは社会秩序、社会正義を意味するものであり、それが神学化され、女神化されたものだと主張する。
Assmannはエジプトの「死者の書」にはエジプトの倫理観念が現われているが、自分の無実が証明されて初めて死者の国に入ることが出来るという思想と類似するものが古代イスラエルの「聖所入場の儀礼」にも見受けられる、宗教(祭儀)と倫理との結合は古代イスラエルの預言者の思想に典型的であるが、その観念は古代エジプトから来たと考えられると主張する。
これらを受けて勝村氏は、従来想定されてきた以上に倫理思想を含めたエジプト思想の中心的な部分がイスラエルの宗教と深い関係を持っているのではないか、これまで旧約聖書はメソポタミアとの関連で語られるのが主であったが、再考の契機が来ているのではないか、と結ばれた。

(神学研究科博士後期課程 北村 徹)
一神教学際研究センター・日本オリエント学会共催
当日配布のプログラム
『2006年度 研究成果報告書』p.326-347より抜粋