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古代メソポタミアの神話と宗教―『ギルガメシュ叙事詩』の魅力を中心に―

公開講演会

古代メソポタミアの神話と宗教―『ギルガメシュ叙事詩』の魅力を中心に―

日時: 2009年02月28日(土)午後2時~4時
場所: 同志社大学 クラーク記念館2階 礼拝堂
講師: 月本 昭男(立教大学文学部教授・社団法人日本オリエント学会会長)
要旨:
本講演において月本昭男教授は、古代メソポタミアの文学作品「ギルガメシュ叙事詩」の成立過程を文化史的視点から詳らかにし、その後に物語の全体を概観しつつ、時代を超えて今なお人々を惹きつけてやまないその魅力を幾つかの観点から紹介した。
メソポタミア文明は三つの文化的支柱の上に成立した。第一は灌漑農耕の発明である。それは余剰生産をもたらし、文化的営為に費やす時間的有余を生み出した。第二はシュメル都市国家の成立である。そこでは分業が進み、地縁血縁に縛られない「個の意識」が芽生えた。第三は文字の発達である。原文字トークンから絵文字を経て楔形文字が成立することで、情報伝達の正確性が飛躍的に向上した。「ギルガメシュ叙事詩」はこれらの柱に支えられたメソポタミア古代文明を背景にする。前2600年頃に実在したと推定されるウルクの王ビルガメシュにまつわる神話や伝承が前1800年頃に編纂されて、この叙事詩が成立した。kの作品はその後1500年以上も読み継がれ、地理的にもトルコ、シリア・パレスチナ二に伝播した。
時間的にも空間的にも広大な声望を集めたこの作品の魅力を、月本氏は「死生観」と「友情」という二つの観点から紹介した。叙事詩には、死を前にした人間が採る幾つかの態度が描かれている。杉の森に棲む怪物フンババの討伐に際して、怖気づく盟友エンキドゥを励ましたギルガメシュの態度は「英雄的人生観」と呼べる。それは、圧倒的な力と避け難い死を前にしつつも、勇猛果敢に戦い抜こうとする態度である。だが、その後、死に至る病に罹患し、息絶える友を見たギルガメシュは、この「英雄的人生観」を放棄し、死を恐れ「永遠の命」を希求するようになる。他方、永遠の命を探求する旅路では、女神シドゥリが「享楽主義的人生観」を伝えている。人間に永生はかなわぬ夢である。それゆえ人間は与えられた有限な人生を享受し、日々を楽しむに如くはない。標準版の叙事詩ではシドゥリの説話が省かれ、その代りにウトナピシュティムの忠告が加えられている。それによれば、人間は死を避けられないが、神々を祀ることによって、不慮の死を回避することはできる。神々は事故や病気、戦争などによる不慮の死を惹起する悪鬼や悪霊を制御する権能を有するからである。
叙事詩においては、これら四様の死生観の優劣は語られない。むしろ、それは問いとして読者に提示されていると言えよう。なお、前700年頃に成立した叙事詩には新たな物語が付加されており、そこには来世の安寧は手厚い弔いと死後の供養を受けられる者に保障される、といった思想がみられるが、これは当時のメソポタミア人々の平均的な幸福観を示すものである。
ギルガメシュとエンキドゥの友情譚は、旧約聖書におけるダビデとヨナタン、イリアスにおけるアキレウスとパトロクロスと類似性を持っている。それは古代的個人意識の萌芽に由来する。都市化社会が進展するなかで、地縁血縁を紐帯とする社会から機能的な分業社会が出来するが、そうしたなかで、個が自覚され、個人の死が意識されるとともに、友情という個人の魂が結びあう新たな人間関係が文学の主題に取り上げられたのである。これら、「ギルガメシュ叙事詩」「イーリアス」「旧約聖書」の三者に描き出される友情は、それぞれメソポタミア、ギリシア、ヘブライの特徴を示しているといってよい。
最後に、叙事詩を生み出したメソポタミア文明は、アッシュールバニパルの死後わずか20年足らずで滅びるアッシリアを最後に、衰退の一途をたどった。それは皮肉に古代メソポタミア文明を支えた三つの支柱がもつ一種の脆弱性と関わっていた。すなわち、灌漑農耕は塩害を引き起こし、生産力の乏しい都市の維持のために周辺地域を軍事的に制圧し続けた結果、帝国が肥大化して滅亡した。また、高度な楔形文字文化は少数のエリートのみを担い手とした。これに代わって登場するのがアルファベト文字文化であったといってよい。とはいえ、楔形文字で粘土板に刻まれた「ギルガメシュ叙事詩」は、わけてもその素朴な物語に籠められた主題は、時代を超えて、今日なお読む者を惹きつけてやまない。

(CISMORリサーチアシスタント 上原 潔)
【共催】 同志社大学 一神教学際研究センター/神学部・神学研究科、日本オリエント学会
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