21世紀COEプログラムによる活動記録

2003年度 第2回研究会

日時: 2003年1月24日
場所: 同志社大学 東京アカデミー
タイトル: キリスト教と一神教の成立
講師: 加藤 隆 (千葉大学文学部)
要旨:
加藤氏の発表は、古代イスラエルから近代に至るまでの西洋的な社会を、古代イスラエル、ユダヤ教成立以降、キリスト教の誕生、ローマによるキリスト教の国教化以降という五つに区分し、それぞれについて社会構造論的分析を行うというものであった。加えて、非西洋的社会構造として中国的社会の分析もまた行われた。一神教の再考という観点からすれば、加藤氏の発表の特徴は一神教的宗教を社会構造の構成契機として捉える点にあり、これは神学的、教義学的な一神教の捉え方、また宗教学的なそれとは異なる点である。人が一人の神を信仰するというのが一般的な一神教観であるが、これに対して加藤氏は、人が任意に神を選ぶことができないというところに一神教の基礎を捉えるのである。
今回の研究会の主題であるキリスト教に焦点を当てるならば、加藤氏の論の特徴は、キリスト教を「人による人の支配」と捉える点にある。ユダヤ教やイエスにおいては神による救済の対象は、ユダヤ教共同体(人類)全体である。また、ユダヤ教において人を支配するのは律法(聖書)であり、また、イエスにおいてそれは神である。ところが、イエスの死後ペテロ等を中心にキリスト教共同体が形成されると、救済の対象は特定の(例えばイエスに従うといったような)生活スタイルを共有する共同体に限定されることになる。つまり、そこでは特定の共同体と生活スタイルへの参与が救済の条件と考えられているのである。このような共同体は、聖霊を受けることによって神的に保証された指導者が、一般信徒に救済の条件となる生活スタイルを指導することによって成立する。地中海世界にキリスト教が広まり、キリスト教共同体が各地で成立するに伴って、それぞれの共同体が採用する生活スタイルは地域性を帯びてゆくが、加藤氏は生活スタイルの具体的内容や共同体ごとの差異は度外視できると述べる。聖霊などによって直接神と関係する人が、神との関係を持つことのできない人を支配するという社会構造こそがキリスト教を特徴付けているからである。この支配する人と支配される人という二重構造は、ローマにおけるキリスト教の国教化を経て、近代に至るまでの西洋社会の構造を規定しており、また、キリスト教における教派の乱立もこのような観点から説明が可能である。
以上のような加藤氏の発表を受けて行われたその後の議論では、一神教概念をどのように規定するかという問題に焦点が当てられた。加藤氏の社会構造論的観点による規定では、諸宗教の自己理解や神学の内容は度外視され、例えば、従来キリスト教を他の一神教的宗教から分かつと理解されてきたイエスや神は、社会構造を維持するための道具に還元されることになる。しかし、逆にそのような具体的信仰内容を度外視することで生じる利点も存在する。信仰対象の分析から一神教概念を規定するという宗教学の方法は、そもそもキリスト教思想圏の産物であり、また、それに従って三つの宗教を一神教概念の下に包摂するという理解がユダヤ教やイスラームの自己理解と相違しているという点、さらには、ラディカルな一神教は実証的に獲得されるものではないというR.ニーバーの見解などを考慮するならば、加藤氏の観点は一神教概念の規定に関して、従来とは別の新たな方向性を示唆していると考えることができる。
一神教概念をいかに規定するかは、今後の研究会においても引き続き検討されるべき問題であるが、加藤氏の観点に立つならば、今回の発表で全く言及されなかったイスラーム的社会構造を、キリスト教的形態からユダヤ教的律法主義への回帰と見るのか、それとも全く別の形態と見るのかという問題が差し当たり残された課題であろう。
(CISMOR奨励研究員・神学研究科後期課程 高田太)

『2003年度 研究成果報告書』p.127-150より抜粋