21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第1回研究会

  • Minolta DSC
  • Minolta DSC
日時: 2005年5月28日
場所: 同志社大学 室町キャンパス 寒梅館
タイトル: ラビ・ユダヤ教のパラダイムシフト:神殿崩壊と賢者の政治思想
講師: 手島 勲矢 (大阪産業大学人間環境学部教授)
タイトル: 現代ユダヤ教の権威構造と正典解釈―近代国家と民主主義をめぐって
講師: 市川 裕 (東京大学大学院人文社会系研究科教授)
要旨:
  今回の発表で手島氏は、二つの神殿崩壊の時代を通して、「預言者の宗教」から「賢者の宗教」への変遷を、市川氏は、近代国家成立時においてユダヤ教がユダヤ人社会にどのように関係してきたのかを論じた。
  手島氏は、まず「歴史の学」について触れ、それは本来異なる意見をもつ人々を結びつける「共通の場」であり、この点においてユダヤ学者もキリスト教の歴史学者も、方法論や事実の究明という目的を共有していると述べた。この「歴史学」の場において、ユダヤ学者とキリスト教の歴史学者の視点の相違が最も顕著に現れるのが「第二神殿時代のユダヤ教」の問題であり、この視点の相違は「歴史の出発点と終着点の設定の問題」「時代区分を言い表す用語の問題」「ユダヤ教をめぐる神学的、哲学的な問題」にあるとした。ことに、この「第二神殿時代のユダヤ教」の問題に関して、手島氏はユダヤ学者たちが主張するところの「予言の終焉」が、この問題を理解する上で役に立つと強調する。なぜなら「予言の終焉」は、正典テキスト解釈を中心とした宗教文化の形成をもたらし、合理的で世俗的、また政治的でもあるその「正典解釈の宗教文化」は、非合理的なカリスマ支配を意味していた「預言者の文化」と性格をまったく異にするものであったからである。このようなパラダイムシフトと関連する例として、『ユダヤ古代誌』から神殿崩壊時のパリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の動向がとりあげられ、そこで「多数決原理」が確立されていくことが明らかにされる。また、この「多数決原理」をラビ・ユダヤ教が確立していく例として、『ミシュナー』からユダヤ教のラビ達の事件を取り上げ、そこにおいても彼らが「多数派原理」を重要視していたことが指摘された。
  市川氏は、宗教から見て社会(国家)はどのように意味づけられるのかという問題意識のもとに、近代(フランス革命)までユダヤ教が正典解釈を多様なものとして残しつつ行動規範の拘束力をラビ達が握っていたのに対し、近代国家(イスラエル)の成立以降においてどこまでユダヤ教の法規範が拘束力を持つのか、という問題を提議した。ギリシア・ローマ・カトリック、プロテスタントを経た西洋の宗教と国家との関係は、フランス革命以後決定的に逆転し、国家は宗教に拘束されない自立的なものとなる。そのような中で、近代のユダヤ人解放によってアイデンティティの危機に直面したユダヤ人社会は、内部から①啓蒙主義に由来するユダヤ教改革②直接的宗教体験に由来するハシディズム③近代科学技術④ユダヤ人国家建設という四つの挑戦を受け、ラビ・ユダヤ教体制はしだいに衰退していく。1948年以降、イスラエル国家建設を目前にしたユダヤ人たちは、「トーラーはどのように社会形成に寄与すべきか」という社会的枠組み作りに直面している。その具体的な選択肢として、①トーラーは社会形成を規定すべきである②トーラーの目指す目標を明らかにし、その実現に適した社会秩序を探求する ③トーラーは社会形成を規定すべきではないという三つがあげられる。①と③が、比較的に国家の体制に無関心なのに対し、②は宗教者が国家に対してより積極的に関わり、世俗国家の中に宗教的理念を実現しようとする運動を生み出した。現在のイスラエルでは、この問題と関連する形で、ユダヤ教内部における根本主義派と世俗派との対立が現れているということも指摘された。
  質疑応答では、コメンテーターの中田氏から、ユダヤ教の「多数決原理」と近代民主主義の「多数決原理」の問題、「予言の終焉」とともにユダヤ教の権威はどのように分化していったのかという問題、近代以前のユダヤ教の国家理論とそれに対する聖書の影響の問題等が提議され、小原氏からは、ローマ帝国の影響を受けたキリスト教以前のキリスト教とユダヤ教徒の影響関係の問題、ユダヤ教とキリスト教との「時代区分の相違」の問題、正典解釈の権威の問題などが提議され、活発な議論がなされた。
(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 森山 徹)

当日配布のレジュメ

『2005年度 研究成果報告書』p.176-206より抜粋