21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第5回研究会

  • 060121e
  • 060121f_000
  • 060121g_000
  • 060121h_000
日時: 2006年1月21日(土)13:00-18:30 (部門2と合同)
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館2階 マルチメディアルーム1
タイトル: イスラーム民主主義の現在:理念と実践および21世紀的課題群
講師: 小杉 泰(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科教授)
タイトル: アメリカ建国の理念――「近代」と「宗教」の相克
講師: 古矢 旬(北海道大学法学研究科教授)
タイトル: フランス共和国とユダヤ――『ライシテ(世俗性)』理念の試金石
講師: 菅野賢治氏(東京都立大学人文学部助教授)
要旨:
  今回の研究会は、「一神教世界にとっての民主主義の意味」をテーマに、通常個別に活動している2つ部門研究会の合同で行われた。小杉泰氏、古矢旬氏、菅野賢治氏の3名の発表者が、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教を絡めた視点からこの主題について論じた。
  小杉氏は、イスラームと民主主義の関係における問題として、「イスラーム民主主義」を取り上げた。イスラーム民主主義とは、古代ギリシャが西洋ではないという前提の上でプラトン的な民主主義にまでさかのぼり、イスラームが本来の意味での民主主義であるという理解であるとする。そしてまた、イスラームにおいて論じられているのは手続き的(制度的)民主主義であると指摘する。さらにイスラームはウンマ主義であり、社会契約説と個人主義を採用しないことから、イスラームと自由主義が対立性の高い関係にあると述べ、民主主義と自由主義を分離する。このようなイスラーム民主主義の実現はイスラーム思想の市場メカニズムにかかっていると言え、そこでイスラーム民主主義の理論的根拠(啓典の解釈との整合性)が必要となり、「シューラー(協議、話し合いの意)」が注目される。そしてイスラームと民主主義の歴史をみると、1960年以降のイスラーム復興によって現れたイラン・イスラーム革命は、結果としてイスラーム共和制、選挙制、複数政党制を生み出した一方で、1970年代以降の中東各地において民主化によるイスラーム復興の顕在化に関して、90年代のアルジェリアのようにイスラーム復興を潰せば内戦になるという事例が見られる。それゆえ小杉氏は90年代以降中東で最も民主的なのはイランであるとし、加えてインドネシアの民主化によって複数政党制に立脚するイスラーム政治すなわちイスラーム民主主義の時代の到来を指摘した。
  古矢氏は、近代と宗教の問題をアメリカ合衆国の建国の理念から論じた。まず氏は、アメリカの建国の理念は現在なお継承されているが、それを継承するアメリカ人のアイデンティティの中身の変化によって、解釈の変動を経験していると述べる。建国の理念は、宗教的多元性の中でアメリカの国家形成を啓蒙と理性を用いて可能にすることを目標とする。ピューリタンの正教国家は国家形成の一つの方法であったが、その社会統制の不安定さと当時の宗教的多元性によって衰退し、対して啓蒙の波及によって政教分離原則による社会全体の統合が革命期に成立したのである。しかし同時に大覚醒が起こっており、啓蒙の波及はアメリカの世俗化の進展を意味しない。革命後の19世紀初頭のアメリカ社会はいまだアモルファスであったが、経済的発展と西部への拡大に導かれ生まれた資本主義的な人間類型においてフランクリン的な市民的徳が重視され、労働の価値が評価されることで、「self-made man」がアメリカのナショナル・アイコンとなってくる。さらにこの時期に起こった第二次大覚醒によって、ピューリタン倫理の民主化と同時に覚醒自体の社会化がなされ、ここに千年王国説とアメリカ選民思想が現れた。ここで問題となったのが奴隷制であり、それが南部的な労働蔑視倫理に対する北部的な労働倫理の勝利に終わったことよってアメリカのナショナル・アイデンティティは確立をみたと述べた。そして最後に古矢氏はアメリカ・ナショナリズムにおけるアメリカ例外論の再考を示唆して発表を締めくくった。
  菅野氏は、フランス共和国における「ライシテ(非宗教性・世俗性)」に注目する。氏は、21世紀に入りメディアにおいて目立った話題として、極右政党の台頭、公立学校におけるチャドル着用禁止の決定、移民2世、3世を中心とした暴動事件を挙げる。これらは一見すると移民問題の表面化のように思われるが、もう一度細かくフランスの21世紀最初の5年間を振り返ると、9・11の余波を受けた反ユダヤ、反イスラームの言説の高まりと共に、アラブ系、ユダヤ系だけでなくアフリカ・カリブ系そして白人にまで、自分達こそがポリティカリー・コレクトの犠牲者であるという意識を見て取ることができる。しかしライシテの原則から考えるならば、フランス共和国が特定の宗教に親/反であるようなことはあり得ず、「公共の空間」において個人は宗教、民族等の出自から切り離された市民として在ることを求められる。そしてこの公共の空間こそが「共和国」の原義である。氏はこの理念の実現の不徹底を個々に指摘するよりも、むしろフランス・ユダヤの歴史体験から教訓を引き出すことの方が重要ではないか、と指摘する。たとえば、このような共和国の大原則も歴史の非常事態においてはもろいものであるという事実、また、一つの多数派といくつもの少数派が公共の空間を維持するためには少数派の方が多くの出費を求められるという現実である。そこから、res publicaの維持のために必要なものは、ユダヤ人が同化という形で求められたような共和国への「愛」ではなく、公共のものに対する「尊重」の念であるという視点も浮かび上がってくる、と述べた。
  ディスカッションにおいては、まずコメントとして富田氏からはイスラームと自由主義の対立や公共性と民主主義について、森氏からは民主主義理解の違い、アメリカにおける個と統合の問題、米仏の政教分離理解の違いなどへの指摘があり、それを皮切りに国家と個人の問題、近代主権国家とイスラーム、アメリカ外交における理念によるグローバリズムなど多岐にわたる問題を巡って活発な議論が展開された。
(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 朝香知己)

当日配布のレジュメ

『2005年度 研究成果報告書』p.256-305より抜粋