21世紀COEプログラムによる活動記録

2003年度 第1回研究会

日時: 2004年3月18日
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館
タイトル: イランと法学者の統治論-現在と未来
講師: モフセン・キャディーヴァル (タルビヤト・モダッリス大学哲学科)
要旨:

2004年3月18日、同志社大学神学館会議室において、訪日中のイランのタルビアト・モダッレス大学哲学科のモフセン・キャディーヴァル(Mohsen Kad?var)教授を囲んで、「イスラーム法学者統治論」(wilayat-i faqih)研究会が催された。参加者は、キャディーヴァル教授、CISMORの中田考、富田健治、中村明日香に加え、松永泰行(日本大学)、山岸智子(明治大学)、加賀谷寛、アレズ・ファクレジャハニ(東京工業大学大学院)の全8名であった。
  同研究会では、コムのホウゼで17年間学び、ホセインアリー・モンタゼリー師からイジュティハード(独立判断権)の免状を授与されたムジュタヒドであり、『シーア派イスラーム国家論』(1998年)、『ウィラーヤに基づく統治』(1999年)などの著書を発表しているキャディーヴァル教授より、「政治的ウィラーヤ」(wilayat-i siyasi)「任免」(intis?b)「絶対的裁量権」(ikhtiyarat-i mutlaqeh)と並んでイスラーム法学者統治論の四構成要素の一つである「法学者性」(fuq?hat)について、以下の論点を含む発表が行われた。

  • 法学者性がイスラーム社会の運営に必要な専門性の一つであるとしても、イスラーム法学者による直接的な政治的統治の必要性を、聖法的(すなわちnaql_および‘aql_的)に立証することはできず、むしろ証左はそれに反している。
  • イスラーム社会がイスラーム法学者に必要とする役割の一つは、社会が行う立法措置が、聖法の要請(wajibatおよびmuharramat)に反することがないことを保障することである。しかし、現代社会での立法には、例えば道路交通法のように聖法に直接に規定のない事柄が圧倒的に多く、その保障の役割は全ての立法をイスラーム法学者が直接行うことを必要とせず、イスラーム法学者の役割は諮問的なもので十分である。
  • また司法の役割も、成文法がある現代ではイスラーム法学者以外の判事が担いうる。
  • イスラーム法学者による直接統治が必要であるかという問いは、イスラーム法学(‘ilm-i fiqh)がどのようなことを達成するとされている知の体系であるのかという問いに置き換えることができる。
  • イスラーム法学が行うことは、聖法にかかわる領域において一般的な判断(ahkam-i kulli)を導き出すことである。したがって、現代社会の統治に必要な資質である個別専門分野での知識や判断能力、政治的経験などは、明らかにイスラーム法学者の専門性の範囲外にある。
  • 国家の運営は、全てのムスリムにとっての義務であり、イスラーム法学者だけが負う排他的な義務とはいえない。
  • 現代のイスラーム社会の統治には、「誰が統治すべきか」という伝統的な枠組みではなく、「どのように統治すべきか」という枠組みで取り組むことが相応しい。その際重要なことは、「公正に、科学的に、民主的に」という3原則である。

キャディーヴァル教授の発表後の質疑応答では、イスラーム法学者の判断(hukm)へ従う宗教的義務の問題、その場合の判断の種類の区別の問題、「イスラーム民主制」(mardomsalari-yi Islam?)における「イスラーム」は目的・結果だけであるのか、あるいは手段でもあるのか、イスラーム的理性と近代理性の違い、などについて議論を重ねた。
(日本大学国際関係学部助教授 松永泰行)