21世紀COEプログラムによる活動記録

2006年度 第3回研究会

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日時: 2007年2月26日(月)13:00-15:30
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館 マルチメディアルーム1
タイトル: 近代東アジアが出会ったもう一つの西洋科学:入華プロテスタント宣教師の科学啓蒙活動
講師: 八耳俊文氏(青山学院女子短期大学教養学科教授)
要旨:
  本研究発表において八耳俊文氏は、入華プロテスタント宣教師の科学啓蒙活動と近代日本における西洋科学の受容の関係に焦点を当てることで、宗教と結びついた科学という19世紀科学史が持つ一位相を浮き彫りにした。
  一般的に、近代日本が出会った西洋科学は19世紀科学の先駆的相貌を持っていた科学だと理解されている。明治期に造られた「科学」という訳語は「分科・百科の学」の意味に由来するとも言われる。その見解に従えば、当時輸入された西洋科学は専門分化が進んだ今日的意味での科学であったことになる。しかしながら、幕末から明治初期に、藩校・郷校で最も使用された自然科学の教科書は『博物新編』であったし、明治5年には『博物新編訳解』、『博物新編補遺』が小学教則、理学輪講と博物の教科書として指定されている。この書は宗教的動機から著されたものであり、自然科学を紹介する一方で、その背後にキリスト教的な神概念や自然観を顕著に読み取ることができる構成となっている。
  『博物新編』は入華宣教師ベンジャミン・ホブソンが1855年に上海で編んだものである。当時の入華プロテスタント宣教師は主たる目的である直接伝道の他に、教育、医療、出版などの周辺事業も展開した。出版事業については、数学、物理学、医学といった西洋の書物が、多数漢文に翻訳されている。入華宣教師の中には、宣教という元来の目的から徐々に離れ、個別諸科学に打ち込むようになるものや、中国文化に興味を示すようになるものなど、様々なタイプが見受けられるが、ホブソンのように宣教的意図、宗教的動機を持って自然科学の書物を出版するものも少なからず存在した。例えば、神の偉業を理解するために書かれたヨハネス・マルチネットの著作『自然についての問答』を『格物窮理問答』に漢訳したロンドン会宣教師ウィリアム・ミュアヘッドなどもそのうちの一人である。
  これらの漢訳洋学書は商業ベースではなく、1800年前後に設立された英米の宗教冊子協会や組織的あるいは個人的財政支援に支えられていたために、多くの部数が発刊可能であった。大量に生産されたこれらの出版物の一部は、来日宣教師の宣教手段に用いられることとなる。キリシタン禁制下で直接伝道を禁じられていたために、外見上は西洋科学を伝えているが、その内実はキリスト教思想を説いている漢訳洋学書が宣教の媒体となったのである。和刻許可を得る際に、幕府の検閲によって宗教的字句を削除されることもあったが、『博物新編』のように、比較的明瞭な形でキリスト教思想を伝える書物が広く日本国内に流通する場合もあった。
  このように、「西洋から日本へ」という単線的関係だけでなく、中国を介した日本と西洋の関係に着目するならば、近代東アジアが出会った西洋科学は、単に専門分化への傾向性を持つ科学に留まらなかったということが分かる。そして、この事実は19世紀科学史のもうひとつの相である、宗教と結びついた科学の広がりを改めて認識させるのである。
(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 上原 潔)