21世紀COEプログラムによる活動記録

シリアの子ども達

神学部神学科11050029村上涼子


Ⅰ・はじめに

  今回シリア研修に参加して、本当にたくさんのことを学んだ。私はイスラームへの偏見は持っていないつもりだったが、実際に目で見ると自分の中にまだまだ偏見があることに気づいた。出国前は、やはりイスラーム過激派が何らかの事件を起こすのではないかという恐怖心を持っていた。だが、実際のシリアはとても平和で、ゆっくりと時間の流れる国であった。
シリアで生活し始めて数日した頃、イスラームの男尊女卑のような文化に疑問を持ち始めた。だがそれもマタール先生や院生の方々にそれについて質問するうちに、男尊女卑だと思ってしまうのは私の勉強不足であり、それぞれにきちんと意味があるということに気付くことができた。
このように学問的に学んだことはたくさんある。だが、このレポートを書くに至り、私はやはり一番心に残ったことを書きたいと思った。シリアで一番心に残ったのは子ども達の笑顔である。児童福祉に興味のある私は、働かなければいけないシリアの子ども達が無邪気に笑っていることがとても新鮮で、嬉しい気持ちになった。恵まれた日本の子どもよりも幸せそうにも見えた。このレポートでは、シリアと日本の子どもを比較し、そこから学んだことについて述べる。

 

Ⅱ・本文

(1)パルミラで働く子ども達 

  パルミラ神殿でまず初めに子どもと触れ合った。パルミラでラクダに乗った時、私のラクダを誘導していたのはわずか七歳の子どもだった。だが彼は英語をとても流暢に話し、観光客への媚売りも完璧だった。そのようにしっかりした商売をする反面、子どもらしい無邪気な一面を見せる。なかなか言うことを聞かないラクダに彼が一喝入れるとラクダは素直に彼の指示に従った。その時彼が私に向けた自慢そうな笑顔が何とも可愛らしくて忘れられない。ラクダから降りると彼の仲間のような子どもが葉書を売りに来た。18枚で1ドルという日本人の私にとっては安いものを必死に売りつけてきた。私が「ごめんなさい。」と断ると、「ごめんなさいなんて言わないで。」と笑顔で答えて離れてくれた。その後私が彼に写真を撮ろうと誘うと彼はカメラに対してとても無邪気な笑顔で答えてくれた。私はついにその無邪気さに負けて葉書を買うことにしたが、細かいお金がなくて彼の要求する二倍近いお金をチップと言って渡した。見事に子どもの商売にはまってしまった悪い日本人の典型的なパターンだが、私がバスに乗る時もう一度彼に「シュクラン!」と声を掛けに行くと、彼は「お釣り出さなくてごめんなさい。」と言った。私はその一言がたまらなく嬉しかった。物乞いの子どもは万引きや盗みをするという悪いイメージを持っていたが、彼の心の美しさが見えた気がした。
  シリアの様々な場所で子どもに限らずお金をせがんでくる人を見かけた。その時、無視する日本人の私達に対し、マタール先生はお金を渡していたのを覚えている。マタール先生とバスで話した時、先生は「イスラームでは貧しい人間にお金や食べ物を分けてあげる。」と言っていた。いわゆる喜捨の考えだろうかと私は考えた。だが、アブヌール学院の方の別荘で夕食を食べる時、あの豪邸のような建物の門の外にボロボロの服を着た子どもがいたのを覚えている。マタール先生の言うイスラームの考えではその子ども達も招き入れてあげるべきなのではないかと疑問を持った。そのことについてマタール先生について質問しようと思ったが、英語がうまく伝わらなかったのが残念である。

(2)アレッポで出会った子ども達 

夜にアレッポの公園でのんびりしていると、小学生くらいの女の子が三人ほど「Hellow!」と近づいてきた。物乞いの子どもではなく、清潔感溢れた女の子達だ。公園にはほとんど男の人しかいなかったので、彼女達が近寄って来てくれて心が和んだ。彼女達の挨拶に対し笑顔で返すと、地面に座っていた私達をベンチの方へと誘ってくれた。そこにはハマから来たという家族がいた。私に声をかけてきた女の子達と、その子達のお姉さんとお母さんだった。お姉さんは私と同じ二十歳で英語を学んでいるということで、女の子達が話していることを英語に通訳してくれていた。女の子達は本当に元気で、私がアラビア語分からないと言っても関係なくアラビア語で色々な話をしてくれて、最後にはお姉さんも通訳を諦めそこからは全く訳の分からない言葉の中、永遠に笑って返すしかできなくなった。だが、言葉の壁というのは本当に薄く、彼女達が歌いながら踊っている中に私も普通に入ることができ、本当に楽しかった。「日本の歌を歌って!」と頼まれ、森山直太郎の『さくら』を夜のアレッポの公園で歌った。お姉さんは歌っている私達の姿をビデオで撮ってとても楽しんでくれた。そのあとも、その一家は果物や水を分けてくれたり、何を言っているのか分からないが恐らくあまりよくないことを私に話しかけてくるムスリムの男性を追い払ってくれて「あの男の人には近寄ったらだめよ!」と忠告をしてくれたり、本当に親切にしてくれた。彼女達のおかげで夜の公園も恐怖心を持つことなく過ごすことができた。
  お姉さんは大学で英語を学んでいると言っていたし、小さな女の子も英語を習っていると言っていたし、彼女達の気品さから見ても恐らくシリアの中では上流家庭の一家だと思う。もちろんムスリム女性だ。だが、半袖でいた私にもとても親切にしてくれた。イスラーム教の人は他宗教を認めないというイメージは間違っていると頭では分かっていたが、シリアで過ごす初めの2、3日は警戒している自分もいた。だが彼女達は素直に日本の文化も認めてくれて、いろんなことを知りたがり、ムスリムの方も私と同じだ、と思うことができた。また外国人の私達が珍しかったからだと思うが、初めに女の子達が話しかけてきたのは日本では有り得ないことだなと思った。日本が子どもに教えることは、知らない人には近寄ってはいけないということ。なぜそのような教えがあるかというと、日本では誘拐や殺人事件が絶えず、特に大人が子どもを標的にする例が絶えないからだ。バスガイドさんは数年イギリスに住んでいたらしいがシリアに戻ってきた。イギリスよりシリアが好きな理由の一つに、シリアには誘拐も殺人もないからだと言っていた。シリアは治安悪い国というイメージがあったが、むしろ街の治安に関しては日本よりもいいのではないかというのは私も思ったことだ。シリアでは、体を触られたりムスリム男性に突然手を繋がれたりという嫌な思いもした。だがそのようなことは日本でも有りうることで、シリアが悪いというわけではない。子ども達があんなに無邪気で友好的なのは、平和であるからこそではないかという考えが浮かんだ。

 

Ⅲ・まとめ

  以上のようにシリアの子どもを見て心に残ったことは、日本もシリアも同じということだ。オールドダマスカスを歩いている時ムスリムの女性が我々日本人の化粧に興味を持って話しかけてくれたことからも分かる。若者は文化や宗教関係なく同じことに興味があり、それは若者だけではなく、小さな子どもや高齢者の方も同じだろう。シリアと日本が同じというのは、ムスリムと日本人は同じと言い換えることもできる。確かにシリアは情勢不安定かもしれない。だが、日本だって歩いているだけで刺されたり、殺されたり、ただ形が違うだけで全く同じではないかと思う。私はシリアに行き、本当にシリアが好きになった。ニュースを見ると悪いニュースばかりの日本、競争社会でとにかく忙しい日本、そんな日本よりもシリアの方がいい国だと感じた。日本に帰ってからしばらく忙しい現実に戻され、本当に日本という国にうんざりしてしまった。だが、よく考えてみるとシリアも日本も同じだとしたら、日本にだってシリアのように心温かい部分があるのではないかと気付いた。マタール先生は私に、「ブッダもアッラーもキリストもみな同じ神。本をブックと呼んだりキターブと呼ぶように、同じ神を違う呼び方で呼ぶだけだから、宗教の違いで争うのはとてもおかしいことだ。」という話をしてくれた。宗教に関しては信仰の違いもあるし、納得できない部分もあるが、マタール先生の言いたいことは理解できた。また、イスラーム教はイスラーム教だけで世界を閉ざしている気がしていた私には嬉しい言葉だった。みんな同じだという考えはとても簡単なことでありながらシリアで初めて理解できたと感じた。
  子どもというのは、将来大人になり、国を支える身なので、子どもの姿を見るとその国の将来が見える。日本はシリアに比べると、子どもの頃から他人に対して閉鎖的で子ども特有の無邪気さが少ないかもしれない。だがそれはシリアと日本の単なる文化の違いであり、実際そのような幼少期を過ごした日本人によって現代の日本は驚くべき成長を遂げているため、決して日本の子どもが悪く、シリアの子どもがいいというわけではないのである。シリアで、みな同じだということに気付いたことでそのように日本の良さにも気付くことができた。一年半後、大学を卒業して社会に出たときにこの経験を活かし活躍することを私の今後の課題としたい。