21世紀COEプログラムによる活動記録

シリア研修2007年

引率教員:四戸 潤弥(しのへ じゅんや)
神学研究科教授

 

1.シリア研修

 今年で2回目のシリア研修であった。本来なら、3回目であったのだが、昨年度は出発間際にイスラエルによるレバノン侵攻があったため、学生の安全を優先して直前に中止となった。
  レバノンなのになぜシリア旅行が影響を受けるたかという疑問にまず書きたい。
  昨年の訪問先にゴラン高原が入っていた。ゴラン高原は多くのバックパッカーの若者が訪問しているから奇妙に思われるだろうが、実は、ニューヨークの国連本部から直接許可をとり、日本の平和協力部隊である自衛隊の宿営地を表敬訪問することになっていた。憲法問題を取り上げる人がいるだろうが、目的は平和維持活動の実際を見て、参加者が各自感じ取るということにあった。そのような中、シリア状況を現地と連絡を取りながら毎日確認していたところ、イスラエルの砲撃弾はゴランの近く5Kmぐらいの地点に落ちたことも聞いていた。また現地の旅行エージェントとの毎日のやりとりで、レバノンからの避難民がシリア各都市の流入してホテルが満杯状態だとも聞いていた。そんなこんなしているうちに、学生の安全を第一にしたわけである。

 

2.2007年シリア研修目的

  歴史の中での諸宗教の共存を体験することを目的としている。
  それはシラバスに書いた通りである。
「アラビア半島の商業都市メッカの地から始まったイスラームはメディナでのイスラーム共同体建設後,その発展拡張の方向をローマ領土であったシャーム(シリア,ヨルダン,パレスチナ)へと向かいました。シャームはイスラームの預言者ムハンマドがアッラーの召命を受ける前,隊商(キャラバン)の交易地として訪問し,そこにローマ文明を体験した地でした。商業都市メッカの文化,ベドウィンの文化,そしてシャームのローマ文化が混合したシャームで発展したイスラームは国際性を帯びていきます。イスラームは以前の宗教であるキリスト教に対しユダヤ教を同じ一神教として認め,シャームでの一神教の共存の道を選択しました。
キリストの言語を話す村マールーラ,イスラームの壮麗な礼拝所(モスク),ローマカトリック教会,アルメニア教会体験,シリアで発見された楔形文字で書かれた粘土板文書などで知られる古代文明やギリシャ,ローマ文明の遺跡訪問を通じて文明の共存の歴史と,現代シリアの文明の共存の実際を体験学習します」

 

3. 2007年研修の実際

  ほぼシリアを一周した。そして各都市で博物館を訪問した。シリア自体が博物館であることも同時に実感した。
ダマスカスでは、イスラーム法の講義やイスラームのモスクやキリスト教教会を訪問した。イエス・キリストの言語話すマールーラ訪問では、現地の人にアラムのテキストを実際に読んでもらった。
パルミラは私にとっては二度目だったが感動的であった。
シリア北部のユーフラテス河デリゾールには豊かな田園風景が広がっていた。そからユーフラテス河を望むカラアトサマーンの城塞遺跡では、河辺で羊の群れが水を飲んで、鳴き声が心地よく耳に届いたが、私たちも河辺におり、教科書では知っていたユーフラテス河に水を手に取っては実感した。
アレッポを出て、海岸の光景が視界に入ると、途端に内陸のはりつめたものが解けるのを感じた。そこで十字軍の城跡、防衛のために山を二つの切り裂いた跡を見学した。
そこからウガリド遺跡へと向かったが、そこでは古代の思いを馳ながら歩き回ることができた。
ラタキア、タルトゥース、そしてタルトゥース沖2.5Kmのアルワード島へ遊覧船で渡った。
その後、タルトゥースから南東30Kmに位置する標高380mのサフィータはキリスト教徒の町で、詳細は参加学生のレポートを参照されたい。その後、ダマスカスへ向かう途中、クラックドシバリエを見学した。
シリア南部のシャハバでは、発見されたギリシャ時代のアポロンや女神を描いたモザイク遺跡そのもの上に立った博物館を見学した。
スウェイダでは、同地出身のローマ皇帝フィリップスの故郷であるが、玄武岩が地肌に出ている光景の中に、イスラームの異端派ドルーズの聖廟を見た。
紀元2世紀に建設されたボスラの円形劇場は壮観で、参加学生がステージに立ちグノーのアベマリアを美声で歌いあげると、ヨーロッパからの観光客たちが「グノーだろう」と話しかけ、聞き惚れて拍手喝采をすることもあった。

 

4. 文明としてシリア

  シリアは全地域を訪問してその文明を知ることでき、歴史家トインビーの言葉を待つまでもなく、ヨーロッパ・キリスト教文明がセレウコス朝シリアから生まれたことを体感する。
  また残された建築の中にギリシャ人であったシリア人、ローマ人であったシリア人、イスラーム教徒であったシリア人を確認できる。文明の現在的共存でなく、文明の歴史の中で変貌していったシリア人の歴史的共存が現在しているのがシリアであったように思う。さらになぜ砂漠の中に都市が繁栄したかも体感できるのがシリアである。東西ばかりでなく、アフリカとヨーロッパの交錯する地がシリアであるが、その間は砂漠であり、砂漠を挟む文明の交流があったために、その中継地として砂漠の中に都市が繁栄することが必然的に起こったことも体感できるのである。

 

5.参加学生

  今回は実際には第二回であるが、シリア全土を駆け足で一周し、遺跡を次々と訪問したために、参加学生はそれらの間の違いに容易に気づくことができたように思う。さらに参加学生が積極性がレポートに結果として現れたように思う。