21世紀COEプログラムによる活動記録

2007年度 第2回研究会

  • 070721a
  • 070721b
日時: 2007年7月21日(土) 13:00-17:30 (部門2と合同)
場所: 同志社大学 室町キャンパス 寒梅館6階会議室
研究テーマ: 共存を妨げるもの ―キリスト教の場合―
タイトル: 何が文明間・宗教間の共存を妨げてきたのか? ―『キリスト教世界』の創造と終末―
講師: 小原克博(同志社大学大学院神学研究科教授)
タイトル: 「千年王国」とアメリカの使命
講師: 森 孝一(同志社大学大学院神学研究科教授)
要旨:
小原氏は、「共存を妨げる本質的な要素とは何か」と考えるのではなく「ある要素がどのような状況で阻害要因として働くのか」というように考えていきたいと述べ、そのことに注意を喚起することから発表を始めた。 
西洋では、最近ベネディクト16世が「共存」を妨げるような発言を繰り返して世間を騒がせている。しかし、その思想的ベースはかれが枢機卿時代におこなった講演にすでに表れている、と氏は指摘する。その講演には「理性や人権といった本質的な価値や規範はすべて西洋キリスト教世界の占有物である」という考えが表れている。これは、テロとの戦いを「Global Values」のためだと言ったトニー・ブレアの考えと共通している。両者はともに、自分たちのもっている価値こそ普遍的な価値であると考えているのである。 
一方、日本では、19世紀以降に「文明化=キリスト教化」というディスコースが問題になった。当然それに対抗する潮流も生じる。例えば島地黙雷は、文明とキリスト教を区別し、キリスト教なしに日本の文明化は可能であると主張した。また井上哲次郎は、日本的なものとキリスト教を区別して、両者は共存しえないと主張した。 
それらの事例を踏まえて氏は、西洋における「キリスト教世界」という世界認識の形成について分析を進める。それは「イスラム世界」という認識と表裏一体の関係にあった。そして、そうした世界認識が、ムスリムなどの外部に対しても、ユダヤなどの内部に対しても著しく共存の可能性を損なってきたと言う。 
また、キリスト教の創造や終末をめぐる言説も共存を妨げるものとして機能してきた。例えば、そこから「創造の秩序」という考えが生じ、それがナチズムやアパルトヘイト政策に影響を与えた。あるいは進歩的歴史観が生じ、それが序列的文明理解のもとでの優生学的な人種差別や民族差別を生んだ。 
西洋の価値意識が優位しているという認識は、非西洋の視点に立つなどして相対化していく必要がある。しかし、それのみならず、創造や終末の言説は公平性や希望の言葉として機能させることもできるのであって、そのような可能性を顕在化させる条件について考察していくことも重要である。氏はそのように今後の課題を示して発表を締めくくった。 
森氏は、アメリカ外交と普遍的理念の関係を分析することから発表を始めた。ベトナム戦争時代の国務長官マクナマラは『回顧録』において「間違っていたのは戦略であって大義ではない」と言っている。ブッシュもイラク戦争について同じことを言うのではないか。とすれば、いま求められるのは、アメリカが大義として掲げる「普遍的理念」についての省察だと考えられる。 
氏は、省察のための手がかりを、アメリカにおける外交と海外伝道の類似性に求めた。アメリカは米西戦争を境にして積極外交を展開していくが、その際に利用されたのが海外伝道のレトリックだった。アメリカの海外膨張はヨーロッパの植民地主義とは違い、世界を教育し文明化しようとする善意によるものだ、というレトリックである。 
アメリカの理念を宗教的レトリックによって語るのは独立宣言以来の伝統であり、アメリカ建国の大義(啓蒙主義の理念、基本的人権)を戦争の大義とするのは現在のイラク戦争まで一貫して変わっていない。しかし同様な建国の大義をもつフランスは、アメリカと違って世界に対する使命感をもっていない。世界に対するアメリカの使命感はどこからくるのか。氏は、その源流はピューリタニズムにあると言う。 
ピューリタンはニューイングランドをつくったが、ニューイングランドも一様ではなく、その両極には宗教的多様性を重んじるロードアイランドと、神権政治をおこなったマサチューセッツがあった。アメリカには、個人の信仰と社会の秩序、多様性と統一を両立させるという宿命的な課題があり、ニューイングランドはその宿命を表しているといえる。 
そしてピューリタンは千年王国思想をもっており、それは「キリストの再臨」と「千年王国の実現」の前後関係によって前千年王国思想と後千年王国思想に分けられる。「前」をもっていたピューリタンは、キリストの再臨に備えるために、教会や社会、国家をピュリファイ(純化)することに専心していた。ところが、ジョナサン・エドワーズ以降はそれが「後」に変わる。「後」においては、千年王国が実現した後にキリストが再臨すると考えられるので、それを実現する人間の努力が強調される。ここから千年王国を実現していくうえでのアメリカの使命という意識が生じ、関心が外に向いていったのではないか、と氏は分析する。 
千年王国思想にはまた、キリスト陣営と反キリスト陣営という二元論的世界観があり、それが独立戦争や冷戦においても作用した。今ではイランが反キリスト陣営としてイメージされている。現在の宗教右派は前千年王国思想にたっていたが、1948年のイスラエル建国によって変化してきた。イスラエル建国は、終末が近いという証拠だと考え、神の国を建設するには核戦争をも辞さない構えをみせるようになったのである。 
では、そうしたアメリカの大儀や理念を克服するにはどうしたらよいのか。氏は、マサチューセッツの選民思想を批判してロードアイランドをつくったロジャー・ウィリアムズや、世俗的な形で選民思想を批判したリンカーンを例として挙げながら、その系譜を継ぐ必要性を強調して発表を終えた。 
(CISMORリサーチアシスタント・京都大学人間・環境学研究科博士後期課程 藤本龍児)

当日配布のレジュメ

『2007年度 研究成果報告書』p.42-95より抜粋